14年4月鈴鹿サーキットフルコース走行会 その1
2014/04/17 | 本部
4月16日(水)、ホンダカーズ東海さん主催で鈴鹿サーキットのフルコース走行会が行われました。
三河日産のお客様にも数台のご参加をいただき、本当にありがとうございました。
次回は参加してみようかなと思っていただけるよう
その模様をご報告させていただきたいと思います。
鈴鹿サーキットまで来ていただいたら、まず受付です。

今回は12時30分から受付開始でしたが
12時を過ぎるころにはほとんどの参加者の方がいらっしゃるほどの盛況ぶりです。
受付を済ますと次はブリーフィングです。


安全にコースを走行するためのルールや注意事項をサーキットスタッフの方に教えていただきます。
一般道とは違う内容もあったりして内容はかなり濃いと思います。
ですから、このブリーフィングにご参加いただけないと、走行会にもご参加いただけないのです。
まあ、20分ほどの時間、集中して聞いていただければ何も難しい事はありませんよ。
ブリーフィングのあとは、表彰台に集合して記念撮影を行います。

そうそう立てる場所じゃないですよね。
そして、いよいよサーキットへ向かいます。
まずは慣熟走行を行い、その後フリー走行を2回(2グループに分かれて順番に)行っていただきます。


全部で約80台が参加していますので
並んでいるだけでも壮観です。

それでは、走行中の参加車をご覧下さい。




もうちょっと載せたいので一旦区切ります。
新年度スタート
2014/04/01 | 本部
2月は走る。。。
3月は去る。。。
つい先日、新年を迎えたと思ったら、もう4月。
はやいですね。(笑)
新年度が始まりました。
フレッシュなメンバーも増えました。
三河日産に加わった新しい仲間たちです!

みんな、お客様のために働けるよう
これからたくさん勉強して参りますので
そのときはどうぞよろしくお願いいたします。
みんな、ガンバレ!
ちなみに、フレッシュマンは6名です。
こんなマウスもありますよ。
2014/03/28 | 本部
三好店の記事に触発されて
本部からもひとつ。
たぶん同じ系統だと思うのですが
本部にもこんなマウスがあったりなかったり。

ただ、実際には使われず
パソコンの飾りになっております。
だから

ヘッドライトやテールランプも点灯するという豪華なギミック。
そうそう、
本当はフロントから出ていたケーブルを
テールパイプの位置に移動させて、りありてぃを追求してます。(微笑)
ただ、ヘッドライトがまぶしいです。(笑笑)
花粉症にはこれが効きます。たぶん。
2014/03/16 | 本部
花粉と戦って何年経つのでしょうか。
お医者様から、正式な花粉症のお墨付きをいただいている本部の僕です。
そんな僕が、ついに決心して
長年の花粉症との対決に終止符を打つべく、
ある、治療をしてまいりました。
それは、下鼻甲介粘膜焼灼術です。
簡単に書くとレーザーで鼻の粘膜を焼き、アレルギー反応を起こし難くするというものです。
手術そのものは10分くらいで終了します。
痛みは全く無いかと言われるとそうでもないですと答えるしかないですね。
レーザーが鼻の奥に当たる瞬間がちょっと痛いです。
今日で手術から5日ほど経過していますが
残念ながら、まだ効果を感じることは出来ません。
かえって、鼻水と鼻詰まりが悪化しております。
あと、鼻の奥がジンジンしております。
もちろん、これは想定内です。
大体2週間くらいはこの状態が続き、それを乗り越えると気分爽快になるのだそうです。
(まだ、その域に達していませんのでまだ半信半疑ではありますが)
とにかく、今は我慢するしかないんですよ。
これを覚悟できる方は、一度お医者さんにご相談されてはいかがでしょう。
費用は術前検査を入れると15000円くらいでしょうか。
薬代を考えるとお得かも。
ちなみに”戦いに終止符を打つべく”と書きましたが
効果は長い方で3年程度、短いと1年程度で終了だそうです・・・。
掲載する写真は、手術直前に鼻に麻酔薬のしみ込んだガーゼを詰め込まれ
20分ほど病室に寝かされていたときの天井です。
リアル見知らぬ天井ですね。
(解る人だけでいいですよ。)

明治の最新鉄道旅行地図(観光案内付き)
2014/03/03 | 本部
今回の三河日産ブログ、ちょっといつもとは違うアカデミックな内容でお届けします。
まずはこれをご覧下さい。

これは明治43年頃に発行された鉄道旅行地図の写真で、
取引先のTさんがご実家の蔵から発掘したものです。

中部地方の部分です。
よく見ると、愛知県とか三重県とかではなく、三河、尾張、伊賀とかいてあります。
まだ、県名よりも藩名の方が通りがよかったのでしょうね。
時代を感じます。
そして、旅行地図と銘打つだけありまして、裏面には各地の見所が書かれていたりします。

これは裏面の旅行案内にある、当時の名古屋市の地図です。
よく見ると、千種より東と名古屋停車場(名駅)より西は田畑しかありません。
案内を読むと熱田駅の近くには汽船乗り場があると書かれています。
海岸線が違うんですね。
それから、写真にはありませんが、
この地図には当然のように南樺太と台湾と朝鮮半島が含まれていました。
日韓併合から間もない時期ですから当然といえば当然ですが・・・。
これもまた時代を感じさせてくれます。
本当にTさんから見せていただいた時には、あまりの面白さに魅入ってしまいました。
それからもうひとつ。
名古屋市の案内文には豊臣秀吉の生地として中村が紹介されているのですが
この時の書き方が豊臣秀吉ではなく、”豊公”と書かれています。
その反面、岡崎の案内文には徳川家康の生地としてあるのですが
書き方は”徳川家康”と呼び捨てでした。
こういうところを見ると、明治維新が関ヶ原の壮大な意趣返しだったのかなあと
あらためて思わされます。
ちなみに発行所の住所は京都でした。
やっぱりねえ。
最後に同時にTさんが蔵から発掘した、東郷平八郎元帥閣下のお写真を掲載いたします。
日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を殲滅した連合艦隊司令長官です。
昭和9年の大阪毎日新聞の付録だったものです。
こういう方の肖像写真を付録にするというのも今では考えられません。
もしかしたら、今で言う、マー君や真央ちゃん的なイメージだったのかも。
ちなみに、今はTさん宅に額装され飾られているそうです。

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